【質問7】言う事と癒しについて

フラワーエッセンスの個人セッションを何回か受けさせて頂いていますが、体験談に書いた恋愛の件は、随分と癒されているのであえて言う事もないと思い、話していません。
そして、今回の「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」の実習の時も、ペアの方には、話しにくいと思って言わなかったのですが、言えないと言う事は、まだ傷が完全には癒えてないという事なのでしょうか?
「言わなかった?言えなかった?」どちらの気持ちもありますが・・・。
山口百恵のコスモスではありませんが ♪笑い話に 時が変えるよ・・・♪ のように、笑い話として話せないという事は癒されていないのかな?と疑問になりました。

  • 「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」の体験談が掲載の、匿名希望さんからのご質問です。
    もし宜しければ、体験談も、併せてご覧下さいませ。

回答:

担当セラピストやペアの方に、過去の出来事について、言わなかった、あるいは言えなかったという事が、ご自身の傷が完全に癒えていないからなのか、という事ですね。

文章をお読みしていて、逆に、こんな事を思い出してしまいました。

複数の人達に、ご本人にとってとても重大でプライベートな事を話されたものの、後々、傷ついてしまわれたり、「とんでもない事を言ってしまった」と、ひどく後悔されたりして、かえってこころのバランスを崩してしまわれ、個人セッションに来られるようなケースを……。
このように、傷を癒したいという誠実さや情熱故に、ご自分自身に、言う事を無理強いしすぎてしまう事もあるのです。

時として、言う事が癒しへとつながるカタルシスとなったり、傷となってしまう事もあるのですね。

ですので、もし宜しければなのですが、あえてこんな風に思ってみられるのも……と思ったりもするのですが、いかがでしょうか。

言う事と言わない事、言える事と言えない事に対して、ご自身が100%の自由意志をお持ちだという事……。
つまり、言う言わないはご本人の全くの自由ですので、それについて、外側から誰かが判断出来るものではないという事。

また、その方おひとりひとりの繊細で微妙な心の状態がありますので、言えた人は癒されている、言えない人は癒されていないといった、単純明快な判断は出来ないのではないでしょうか。

例えば、癒されているいないに関わらず、ご自分の事をたくさんおしゃべりする事が大好きなヘザータイプの方がおられます。
悲しいお話やつらいお話、そんなお話を、ちょっぴり大袈裟に言ってしまうという方もおられます。
実際、淋しさ故に言ってしまいすぎるパターンを課題に、エッセンスを飲まれている方もいらっしゃるのです。

そうかと思うと、他の方にプライバシーに立ち入られる事を好まず、問題や課題が深刻であればある程、お独りになって、じっくりと見つめたり、セルフワークしたり、解決する事を好まれるウオーターバイオレットタイプの方もおられます。

どういった方法がその方にとってより自然で快適なのか、また、その方の癒しにつながるのかは、おひとりひとり違うかもしれません。
同じ方でも、タイミングやテーマによっても、違ってくるかもしれませんね。

ご自身の心を、そのままに、どうぞ大切に扱ってあげて下さい。
そして、疑問を持たれたというお気持ちそのものも、どうぞ繊細に見ていってあげて下さい。
その上で、言う事について、自然な流れに添っていかれる事が、ご自身の自然でくつろいだ答なのかもしれませんね。

また、個人セッション自体、そのままのその方が主体であり、それを尊重する場です。
そのままのご自身として在る自由を、自由に選択出来る場なのですね。

どうでしょうか。
もし、納得いかない部分、ピンとこない部分がございましたら、それこそ自由意志で、さらりと読み飛ばして下さいね。

文:パビットラ(中沢あつ子)