【質問85】マウントフジフラワーエッセンスに感じるエネルギーが何なのか知りたいです

以前からエッセンスを使っているセラピストですが、昨年からマウントフジフラワーエッセンスを使うようになりました。

貴社のブログによくでている植物や空に光や色が入った画像ですが、一部のスピリチュアルにありがちな如何にも仰々しい説明がなく、さりげなく普通に載せられていて好きです。

マウントフジフラワーエッセンスに他にない変化や感覚を実感しています。
ブログの画像と共通して神聖で高いのに主張しないエネルギーを感じます。

そういう面が他にない作用に反映している?
何も信仰していないですが神仏的エネルギー?
でも神仏のエッセンスでは感じることができないエネルギーなんです。
何なのか知りたいです。

回答:

マウントフジフラワーエッセンスをお使い頂き、ありがとうございます。
少しズレた回答になってしまうかもしれませんが・・・。

私達は、マウントフジフラワーエッセンスを、テーマにそって組み合わせてミックスボトルを作ったり、目的に応じてコンビネーションボトル(フォーミュラー・オーラスプレー)をチョイスしたりします。

それは、花達から作られるブーケと似ているかもしれません。
ブーケは、特定の人や目的を想って、作り手のセンスで花達を組み合わせ、全体を形作ります。

そんなブーケと同じく、マウントフジフラワーエッセンスにも、作り手が関わっているのですね。

たとえ野生の花だったとしても、マウントフジフラワーエッセンスの生成やボトリングの時点で既に開発者が関わっていますし、ミックスボトルを作る際には、使用者やフラワーエッセンスセラピスト™が関わる事となります。

ボトルの使用へと動き出した時、花のエネルギーに、人の想いと行為が乗せられるのですね。

そういった切り口から見るなら、マウントフジフラワーエッセンスも、ブーケも、花と人との共同作業だと言えるでしょう。

そして、どちらも、花達が主役。
花の個性が、最も引き立つように作業されます。

関わる人の作業のセンスというものは、あるでしょうか。

マウントフジフラワーエッセンスですと、自分自身のどのような側面を意識するか、フラワーエッセンスセラピスト™がどんな次元でクライエントさんと出会うかで、選ばれるボトルが展開されていきます。

ボトルが人と出会う事によって、元々ある花の個性から、そして、ブーケのように花達が集まった事からも、引き出される世界、光をあてられる側面が、変わってくるのですね。

神仏の存在も、共同作業と書いてしまうと、人によってはバチ当たりだとお叱りを受けるかもしれませんが、それと似た部分があるのかもしれません。

神仏は、ある次元に存在してはいますが、人との関わりの中で、育っていくとも言えます。

その結果、それ自身がより意識を持ち、独自で働いてもいきます。

そして、その働きを、また私達が受け取る事を通して、共鳴の中、働きが成長してもいきます。

与え、受け取り・・・。

私達がその存在を認識する事で、ブーケも、フラワーエッセンスも、神仏も、意味を持ち、働き出します。

私達の認識がなければ、物質世界の花や木も、微細な世界の神や仏も、対象として存在しません。

そんな二元性を、肯定も否定もせず絶対肯定し(!?)、自分と対象との距離のない領域にふと触れるのが、マウントフジフラワーエッセンスの面白さのひとつなのかもしれません。

よく分からない回答になってしまいましたが、ご質問者の方がマウントフジフラワーエッセンスに、また、ブログの画像に感じて下さっている、主張しないけれど感じる何かは、そういったところからやって来るのかもしれません。

変化のさなかにいる時ほど、同時に深い静止や沈黙を感じる事がありますが、そんな時、私達のエネルギーボディー(サトルボディー)の二元性を超えていく領域は、活性化されています。

マウントフジフラワーエッセンスを使っていると、人によっては、そんな動きと沈黙自身に、同時になっている感覚になる事があります。
別名、瞑想(この場合の瞑想は、意図や目的のあるものではありません)とも呼べるのかもしれません。

マウントフジフラワーエッセンスは、種類に関係なく、瞑想の次元を刺激してくれます。
そこでは、“如何にも仰々しい”といった特別感を、両立させる事は出来ないのです。

文:パビットラ(中沢あつ子)

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