2024年9月~11月 普遍的な母のエネルギーで、憑き物を落とし愛情を育む ハハコグサ

ハハコグサ

今回の「マウントフジフラワーエッセンス季節のお勧め」は、ハハコグサ。


ハハコグサは、昔から大変人気のあるストックボトル。
インナーチャイルドや家族が癒された等、たくさんのフィードバックを頂いてきました。

感情や情感の次元に響くボトルなので、涙と共に浄化や解放が起こる方も少なくありません。

また、悲しみ、感謝・・・どのような感情であれ泣く事自体に浄化と解放の作用がありますが、泣く事への抵抗がある場合、涙を誘発してくれます。


また、特に原家族(生まれ育った家族)で愛情や安心を得られなかった子供時代がある場合、ハハコグサを通して、無条件の愛や保護の感覚を受け取る方も多くおられます。

自分ではどうしようも出来ない事実が存在する中、より大きなものに護られている感覚や、個を超えた次元に触れる方も。


そんなハハコグサなのですが、何と、これまで、季節のお勧めに一度も登場した事がないのです。
それに気づいた開発者は、「意外・・・だけど、さもありなん」と感じました。


ハハコグサのキーワードは、《母の愛》。

ハハコグサのエネルギーには、「あたりまえ」らしさがあるのですね。
家族の背後で優しく見守っている、日本のお母さんのようなエネルギーです。

毎日の風景の中にあたりまえに溶け込んでいるので、家族の面々は、普段はとりたてて意識していないかもしれません。
でも、それが日常でなくなった時には、大切さに気づくかもしれません。
平凡な日々の中では意識されない、あってあたりまえの空気や水のように。


貴重さや特別さを感じない、でも、育み、護るようにいつも包み込んでくれているエネルギー、それがハハコグサの性質です。

時代は移り変わり、親子関係の様相も変化していますが、私達のこころの奥に変わらずある、日本のお母さんのイメージ。
懐かしさを伴うこの感じは、昔話のお母さんのイメージにも通じるかもしれません。


余談ですが、同じく母親的なエネルギーとリンクしているムシトリナデシコは、他者への過度な包み込み、つまりは束縛や支配のエネルギーを無条件の愛へと変容してくれるボトル。


対して、ハハコグサは、無条件の受け入れの、無理強いや押し付けのない、どこまでも肯定的で全面的で、特別感のないエネルギー。

正誤で裁かず、余計な介入はせず、何があっても見捨てない、裏切らない、変わる事なくただただ包み込む慈愛。
それは、私達の誰もが焦がれる、普遍的な母のイメージに繋がる質でもあるのです。


白い綿毛で覆われたハハコグサの黄色の花からは、我の主張がないぼんやりとした優しさを感じます。
自己主張と関わる色なのに、何と柔らかな黄色なのでしょう。

また、開花時期は3月~6月頃と言われていますが、秋や冬にも花を咲かせるハハコグサもいて、たくましさを感じます。


優しさとたくましさが同居する、お母さんのようなハハコグサ。
ハートサポートシステムの庭にも、毎年、ハハコグサがやって来てくれます。


今、新しい時代へと動いている時期だからこそ、昔ながらのお母さん像のようなハハコグサに甘え、安心してみませんか。
若い人から年齢を経た人まで、いつの時代でも誰もが思いを寄せる、普遍的なエネルギーの癒しを受け取って頂ければと思います。


母の愛と関係するハハコグサ。

毒親、親ガチャ・・・機能不全家族に関連したトラウマやダメージに働きかけたい場合、人によっては、「個人や集団の過去を癒す」のフォーミュラーやオーラスプレーよりも、まずはハハコグサの単品使いがフィットするケースがあります。


ハハコグサは、いわゆる霊障に作用するボトルではないですが、ある意味、エネルギー的な「憑き物落とし」をしてくれるボトル。

最初に自分のためにハハコグサを使い、更に家族や家系の集合的な事柄に働きかけたい場合は、「個人や集団の過去を癒す」のフォーミュラーやオーラスプレーに切り替えていくといいでしょう。


また、自身や人生に対する不満を外の対象に発散する傾向にも、ハハコグサの「憑き物落とし」の作用が役立ちます。

めまぐるしく情報が飛び交う今の時代は、SNSをはじめ、憑き物が育ちやすい(!)環境でもあります。
特定の対象への八つ当たりや嫉妬から、皆滅びてしまえといった曖昧な対象への感情まで、ハハコグサは広く働きかけてくれます。

自身の言動に微かな違和感がある時には、本当は愛情や癒しを求めているかもしれない内なる子供と共に、ハハコグサを試してみて下さい。


大いなる母のようなハハコグサは、憑き物ではなく、愛情を育ててくれます。
それは、日々の食べ物のように、地上を生きる私達に欠かせないもの。
とりわけ、内なる小さな子供にとっては。

微細エネルギー解剖学的には、愛情は、肉体に近い次元のエネルギーボディー(サトルボディー)の食べ物だとも言えるでしょうか。


子供時代の癒しの候補に、どうぞハハコグサを加えてみて下さいね。

辛かった幼少期を癒すべくありとあらゆる事をやってきた人には、いつも想う、無償の愛、無言の愛、忘れないといった花言葉を持つハハコグサに、ただ甘えるだけの時間を持ってみるのもいいでしょう。


光が徐々に天に戻る秋の時期。

澄み渡った高い空の透明さに彼方の光を感じながらも、地上にいる自分はひとりぼっちで切り離され、何の支えもなく、誰も護ってくれないと感じる時にも。
よろしかったら、9月から11月にかけてハハコグサと繋がってみて下さい。

季節に関係なく、こういった感覚がよくやって来たり慢性的になっている人にも、柔らかな綿毛で包み込んでくれるハハコグサが役立ってくれるでしょう。

パビットラ(中沢あつ子)

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2024年6月~8月 内奥のピュアリティと共に生きる自分を許す ボタンヅル

ボタンヅル

風の時代が話題になってから久しいですが、まだまだ色々とありそうな気配。
今回は、時と共に変化していく世界を生きていくサポートとして、純粋という切り口からボトルをチョイスしてみました。


日当たりのよい場所を好むボタンヅルは、その名の通り、ツルで他の植物にからみながら育ちます。
そして、葉がボタンの葉に似ている事から、ボタンヅル。

キンポウゲ科センニンソウ属で、よく似た花を咲かせるセンニンソウとは、葉っぱを見ると簡単に見分けられます。
マウントフジフラワーエッセンスのストックボトルにはボタンヅルとセンニンソウの両方がありますが、共通した質として、物質界を超えた繊細さが挙げられるでしょうか。


8~9月、ボタンヅルは、十字形の白い花を、上を向いて完全に開かせます。
十字形の花弁に見えるのは、実は花弁ではなく、花弁状のガク片。

直径1、5~2センチの十字の中からは、雌しべを中心に、光のように四方八方に開いたたくさんの雄しべが。


白い十字架と光の姿の、小さな花。
つるで他の植物を覆うようにたくさんの花が咲いている様は、新婦のウエディングベールのようです。

白い十字架が表れる前のたくさんのまあるいツボミは、愛らしい赤ちゃんのようでもあります。

そして、秋には、お星様のように集まった細い卵形の種は、白い羽毛を纏い、老賢人のように。
冬になり、枝に残った種達は、輝く銀白色のお花のようにも見えます。


幼子、新婦、老賢人・・・変化しながらも、穢れのない純粋さや神聖さを感じさせてくれるボタンヅルの姿は、そのエネルギーの質にも通じるものです。


成熟のプロセスを通して、意識化されていく純粋性。
実のところ、その純粋性は、経験や学びとは関係なく、元々内奥に存在する本質的なものが核となっています。

それは、私達がする事によって、得たり失ったりするものではありません。
私達が意識していてもいなくても、在り続けるものです。

私達は、それを外界に投影しているだけなのですね。


そんな純粋性との繋がりを再び思い出したい時には、いつでもボタンヅルが役立ってくれます。


ボタンヅルのキーワードは、《純潔》。
ボタンヅルの純潔は、時の影響で変化する事のない、決して汚される事のないピュアリティです。

そのピュアリティを携えて現実を生きていくためのサポーターが、ボタンヅルです。
ピュアリティという弱さに内在する強さは、何によっても変えられる事なく、私達の内奥に存り続けます。


ボタンヅルは、現実世界を生きる事と純粋である事という、ある種の対極を同時に生きていく事を助けてくれます。

純粋さが現実生活を邪魔するのではなく、肯定的に役立てられるように。
実際、その純粋さが、現実世界で汚される事はありません。


ボタンヅルは、とりわけ純粋さが生き辛さの原因だと思っている人にとっては、頼もしい伴走者となってくれます。

例えば、「森の奥にひとり潜む妖精さん」や、「孤立しがちな芸術家さん」のようなタイプが、これに含まれるでしょうか。


人間関係が生き辛さと大きく関係していると感じるなら、テーマや調合内容の変遷に関わらず、ある程度の期間、定番として、ミックスボトルに加えてみるのもいいでしょう。

テーマや調合内容が変化していっても変化しないボタンヅル・・・この使い方は、まさに、ボタンヅルの「純潔」に通じる感じですね。


現実世界では羽を隠し、バリバリやってうまく生きてはいるけれど、本当は妖精さんなタイプにもお勧めです。


~ 以下は、書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の”Being”―」からの抜粋 ~

ボタンヅルが表現している内奥のピュアリティは、学習や訓練で獲得されるものではありません。
学習や訓練で得たものは、私達の存在の、最初の最初から存るものではありませんでした。
ボタンヅルは、獲得したそれらを手放した後に何が残るのかについて、改めて観ていく手助けをしてくれます。
ボタンヅルが指し示しているピュアリティは、元々、全ての人々の内奥に、あらゆるものの内に、既に備わっているもの。
私達自身が、「そのもの」だと言ってもいいかもしれません。
そして、その純粋な空っぽさは、学習や訓練といった経験で獲得した世界がある事によって、初めて知覚され得るものなのかもしれません。
この花のエネルギーは、私達が、内側の純粋な光、つまり、人格、役割、経験を超えた「何か」=Beingへと戻っていく為に存在するのです。
この花は問いかけています、「学んだ事、学習や訓練で得たものを脱ぎ捨てた後、あなたに何が残りますか?」
そこには、か弱く純粋な幼子が隠されているかもしれません。


ボタンヅルの柔らかな白い光のベールは、エネルギーの繊細な保護としても使えます。

例えば、敵意、妬み、単に気に入らないとか憂さ晴らしといったレベルまで、外側からの攻撃がある時、私達は感情的な反応から、対象と同じレベルへと自らを引き落としてしまいがちです。

そんな時、ボタンヅルは、対象の感情の次元に巻き込まれないよう、高いエネルギーで護ってくれます。
高い次元と繋がったまま、必要であれば何をしたらいいかを明確にし、行動へと繋げてくれるでしょう。
そういった働きかけから、今の時代のSNSによる中傷等にも役立つでしょう。


ボタンヅルのエネルギー保護は、とりわけ妖精さんタイプに役立ちます。
どう対処していいか分からず固まってしまったり、弁明出来ず誤解されてしまったり、逃げてしまったり。

ふわふわした状態に軸を作ってくれるボタンヅルは、自身の個性を分かち合えるよう、助けてもくれます。
芸術活動をはじめ、創造性を刺激し、繊細な領域と現実世界に橋を架けてくれる作用も。


ボタンヅルは、第7チャクラにカテゴライズされています。
(第7チャクラの領域にのみ作用するという意味ではありません。)

個人の内に元々ある、エゴとしての個を超えた領域を響かせてくれるのは、ボタンヅルの働きかけのひとつ。


また、真紅の4枚の花弁の蓮の花として示される事が多い第1チャクラが、十字として表現される事も。
ボタンヅルの花の姿に見られる十字が、第1チャクラを表現しているのは興味深い事です。

十字架は卍が元になっており、外側へと広がる強さ、第1チャクラが司る肉体次元を表現するという説もあるのだとか。


この種の秘教的な諸説に偏ってしまうと、かえって花のエネルギーから離れてしまいがちです。
・・・だとしても、この地上で基盤としての肉体を携えて今を生きる事を通して、高い次元へと入っていける私達ならではの可能性を、思い起こさせてくれるようにも思います。

変動の時代の中、高い次元から目をそらさず目標にして進んでいく時、到達への励ましにもなってくれるボトルです。
(深く観るなら、目標や到達といったものはないのですが。)


微細なエネルギーに敏感な方の場合は、ボタンヅルとセンニンソウの併用もお勧めです。
人の形に入った全ての妖精さん達に。

パビットラ(中沢あつ子)

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2024年3月~5月 今の時期だからこそ、日本の霊性と再び繋がる フジザクラ

フジザクラ

サクラの原種であるフジザクラは、日本の固有種。
火山砂が多く水はけのよい場所に自生し、霊峰富士の周辺に多く見られるので、フジザクラと呼ばれています。


マウントフジフラワーエッセンスの仲間であるフジアザミと同じく、フォッサマグナ要素の植物です。

フォッサマグナは、地質学用語で「大きな溝」を意味します。
糸魚川~静岡構造線の南側半分を中心としたフォッサマグナ地区には、この地区特有の希少な植物が根付いています。

狭義のフジザクラは、フォッサマグナ地域のみに分布するとされています。


フジザクラは、霊峰富士が観えるマウントフジフラワーエッセンスの工場がある山梨の県花。
富士宮の市花でもあります。


フジザクラは、3~5月、若葉の前か同時に、白や淡い紅色の花を咲かせます。

直径1、5~2センチの花と同様、葉は小ぶり、枝は華奢、木全体も小さめです。
別名のマメザクラは、小さいサクラという意味。
オトメザクラは、花が下向きに咲く事から。


繊細で可憐なイメージですが、高い地に根付く事が出来る、他のサクラより寒さに強いサクラです。

厳しい環境の中で生き延びられるように、他のサクラ以上に種間雑種が多く、1本1本が異なるだけでなく、集団をなしている事も。


富士山の過酷な環境の中で咲くこの花は、「和と忍耐」を表現しているのだそう。

花言葉は、優れた美人。


~いずれにせよ、このフラワーエッセンスは、特に富士山のエネルギーと深い関わりを持っています。
自然界は、人間や世界の見方を、ただ在るだけで教えてくれる優れた教師です。
まだ寒い富士山に入った時、50センチ程の岩の上で小さな根を張った、小さなフジザクラの木に出会った事があります。
いびつで安定しない岩の上で、丈が伸びて倒れてしまわないように、小さな幹をくの字に曲げて、大地や重力とバランスを取りながら、清らかな花を咲かせていました。
このフジザクラのように、動けずもの言えぬ植物達は、周りの自然環境のあるがままを受け入れ、協調し、育っていきます。
日当たりの悪い場所に飛んだ種は、細くて頼りない茎をひょろひょろに伸ばして、一生懸命、太陽を探します。
険しい崖の斜面に根付いた木は、不安定な地の上でも安定して生きようと、自分自身を変形させながら、天へと向かいます。
大地から切り離された切花達だって、窓から差す太陽の光をたくさんもらおうと、茎の角度や花の向きを変えていきます。
茎がひょろひょろに曲がっている植物を見て、「間違っている」と思う人はいないでしょう。
私達人間も、環境に合わせて成長していきます。
過去のトラウマでこころを閉ざした状態も、両親の愛情で明るく前向きに育った状態も、それぞれの人が、その環境の中で「まっすぐに」生きてきた姿です。
それぞれの植物も、それぞれの人も、それぞれの石も、ふたつとないユニークな存在であり、神聖さの体現であり、尊重され、受容され、認められる存在なのです。~
― 書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の”Being”―」より抜粋 ―


フジザクラのキーワードは、《内なる美と和》。

霊峰富士とサクラという、古より日本人に愛されてきたエネルギーを携えています。


日本と世界が大きく動いている今の時期だからこそ、個人レベルでも集合レベルでも、誰もに内在する霊性を刺激し、自然界や宇宙とチューニングを合わせていくサポートとして、フジザクラはいかがでしょうか。

マウントフジフラワーエッセンス全体の底にも流れる、日本の自然観、死生観と共に。


ところで、近所の偉いお坊さんからお聞きしたのですが、元々の日本には、いわゆる死、何かがなくなるといった考えに馴染みがなかったという説があるのだとか。


植物は枯れても、土の中の種は春に備え、時期がくればひとりでに芽吹きます。

死は生を助け、生は死を助ける表裏一体。
死は、生のための力の温存。
働きが異なる、ひとつのもの。

死と生は、コインの裏と表、手の平と甲のようなものなのですね。


死の中に宿る、大きな生命。

死に続ける事は、死なない事です。


全てが変化し続ける事、神羅万象、死と生のありのままには、強制も対立もなく、例外も切り捨てもなく、我も理屈もなく、自分と他者の分断もありません。


いわゆる問題は、何かに固執する事で作り出されるもの。

たとえそれが、いわゆる悟りや解脱といった、死と生を超越する事であったとしても。
現象世界をなきものとする脳内の概念も、ある種の固執かもしれません。


誤解を恐れず書くなら、現に在る事、現に起こっている事は、過不足なく、そのままで問題ない事。
問題があると思っている事も含め、問題ない事。


大きく変化し続ける世界の中で、ただそこに在る花達に感応する繊細な感受性は、和の国に根付くギフトのひとつでもあります。

それは、より大きな何かへの委ね、なのかもしれません。


遠くて近く、しかも近くて遠い事の両方が溶けあう二元を超えた次元を、言葉を超えた領域で、何となく感じ取る日本的な感性。

現に起こっている事や肉体感覚を持って生きる事自体への、慈悲や絶対肯定。
経験や認識のない、経験や認識を通しての理解。

対象のない見守り。

それは、理屈や頭脳労働とは異なるところ、今この瞬間の足元にあるのかもしれません。


私達が、物質界に降りて宿った肉体と肉体感覚は、理屈や頭脳労働、形あるものやないものを超えた、ただ在る事への扉です。

そして、ただ在る事は、肉体や肉体感覚のように、何かの元になるものから創造したり、なくしたり出来ない、原因と結果の引力圏外のものです。


ただ、生きるために生き、死ぬために生き、生きるために死ぬ、花達の根底にある智恵は、全ての存在の智恵でもあります。

そんな感性を、今一度、ほどいてみたいなら、フジザクラからの呼びかけを感じているのかもしれません。

単体でも普段のミックスボトルに加えても、フジザクラのエネルギーに、丁寧に浸ってみませんか。


大地震で子供を亡くした知人に送った、禅僧の良寛さんの言葉。
「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

カウンセリングの基本からみるなら、相手の方の状態や信頼関係によっては、決して言ってはならない、目の前で起こっている事への無慈悲な言葉となります。


同時に、人によっては、死から生へのしなやかな力ともなる、異なる次元でのありのままの言葉でもあるかもしれません。


近所のお坊さんによると、日本人は、死を「しなる」と捉えるとの事。
し「なる」は継続であり、「しなる」は、しなる竹が折れる事なく、その力で元に戻る姿でもあり。


フジザクラは、他者を援助する職業の方、とりわけ死と生に関わる人達にも役立ちます。
今、死や生を身近で感じている人達にも。
瞑想者、探究者の友としてもいいでしょう。

二元性を超えた死と生の一体の領域から、全体を見守る事をサポートしてくれます。


「沈黙の内に音を聴き、色なきところに色を見て、一瞬の静止に動きを見い出し、空間の中に時を感じ、自然がもたらす偶然性を歓迎するような、繊細な感受性、瞑想性とつなげてくれる」(書籍より)フジザクラだからか、言葉で表現出来ない領域の微妙で抽象的な表現となってしまいましたが、よろしかったら使ってみて下さいね。

尊敬と嫉妬、嫌いだけど惹かれる、嬉しさと罪の意識、広がりと委縮等、複数のフラワーエッセンスが必要だと思われるような複雑なこころの動きにも、このフジザクラ1本だけで充分に働きかけられる事もあります。

パビットラ(中沢あつ子)

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2023年12月~2024年2月 凍りついた状態を溶かして生命を吹き込む ヤブカンゾウ

ヤブカンゾウ

鮮やかで濃いオレンジの花を咲かせるヤブカンゾウ。
花は直径8~10センチほどで、雄しべの一部~全部が花弁に変化した八重咲きです。


繁殖力がありますが、朝に花開き、夕方に萎れてしまう一日花です。

ゴージャスで目立つ花なのでお部屋に飾りたくなるかもしれませんが、開花の時が短いので、やはり、大地で咲いている自然のままが一番です。


過去にはユリ科の植物とされていたのですが、DNA解析によって、ススキノキ科ワスレグサ属に変更されました。
英語では、Daylily(デイリーリリー)と呼ばれています。


ヤブカンゾウの名は、藪のそばにも生える事から。
別名はワスレグサで、万葉集にも詠まれています。


「忘れ草 我が紐に付く 香具山の 故りにし里を 忘れむがため」
大伴旅人が、太宰府の長官として赴任していた時に詠んだ望郷の歌です。

意味は、「忘れ草を私の紐に付けています。香具山の見えるあの懐かしい故郷を忘れられるように。」


この花を着物の紐に付けると、嫌な事を忘れると言われています。
中国では、ヤブカンゾウを見ると憂いを忘れると言われ、忘憂草と呼ばれているのだとか。


興味深い事に、初めてヤブカンゾウと出会い、エネルギーを頂いた時の情景は五感を通して鮮やかに覚えているのですが、具体的な場所については、開発者2名共に記憶から抜け落ちています・・・。


源氏物語にも、ワスレグサが登場しますね。


ヤブカンゾウは、過去であれ現在であれ、ショックやトラウマの解放に役立つボトル。

肉体に近い領域、感情、思考、より微細な次元・・・。
凍りつき、停止し、滞り、麻痺している様々な状態に、広い範囲で使えます。


ヒレハリソウが、天災や人災をはじめ青天の霹靂のようなショックに作用するのに対して、ヤブカンゾウは、一定期間に渡って、あるいは自分自身が関わった結果として起こったショックに働きかけてくれます。

ケースによっては、これら2種類を同時使用される事をお勧めしています。

過去世や家系が関わっている場合は、サオトメカズラもプラスした3種類で、エネルギーボディー(サトルボディー)の第2身体と第3身体に働きかけるといいでしょう。


このところ、地球規模で様々な事が起こっています。

出口が見えない事柄もあり、海の向こうの事についても、こころが揺れている人も少なくないのではないでしょうか。

そんな時には、ヤブカンゾウの出番です。


また、「今、起こっている事は、新しい時代への変化のプロセス!」と、肯定的に捉える在り方の背後に、何かしらの麻痺が隠れている時にも役立ちます。
例えば、怖れを感じたくないがゆえに、特定の何かを見ないようにしている状態に。

エネルギーが動いているように見えるけれど、一部が動いていない・・・そんな時にも、ヤブカンゾウが役立つのですね。


ヤブカンゾウは、生命の息吹を吹き込み、エネルギーを動かし、感じている事や起こっている事をトータルに承認し、手放しでいる在り方を広げてくれます。

それは、別名、無条件の信頼、とも言えるかもしれません。

将来に良い変化があるから信頼する、といった支えや約束や条件ありきではなく、ただただ、信頼する事。


また、このフラワーエッセンスは、変化のない状態に変化を起こそうと、興奮する事に意識を向けがちな傾向にも有効です。
穏やかすぎるので波風を起こす、といった感じでしょうか。

恋人同士のケンカのような個人対個人のささやかな領域から、時には大事になる集合的な領域まで、幅広く働きかけてくれます。

この二元世界は静と動を行き来するものではありますが、自他に痛みが伴う方法とは異なる在り方へと、ヤブカンゾウが開いてくれるでしょう。


凍りついたエネルギーを溶かしてくれるヤブカンゾウは、膠着状態の時にも使えます。

例えば、個人的であれ集合的であれ、特定の対象との対立や、変えたいけれど変えられない関係性に。
長期間社会から遠ざかったままの時や、何かへの依存的なパターンにも役立ちます。


このフラワーエッセンスは、飲む以外、関連する空間、象徴するモノ等にスプレーするのもいいでしょう。


人、環境、出来事・・・。
何であれ、出口が見えない時、変わりそうもない時には、糸口を見つけ、開いてくれるヤブカンゾウのサポートを頂いてみるのもいいかもしれません。


ヤブカンゾウは、年末から年始にかけて、心機一転してスタートしていく動きを起こしたい時にも、お勧めしたいフラワーエッセンス。
この目的で使用される場合は、新たな1年間の事でもあるので、旧暦の新年と、ボトルの作用がエネルギー的に安定する事を意識して、2月末まで使われるのもいいでしょう。


一日花のヤブカンゾウは、動かぬ状態を動かしたり、突破し、突き抜けていく大きなエネルギーを秘めています。

ヤブカンゾウと共に、変化する生をエクスタティックに生きる事へと開いていきましょう。

パビットラ(中沢あつ子)

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2023年9月~11月 思いや活動の背後にある、この世界に存在する事への相反する感情を、母のように包み込む キリ

キリ

キリというと、お花よりは、皇室の紋章や武家の家紋、あるいは高級家具をイメージする方が多いでしょうか。
紋章や家紋、家具は知っているけれど実際の花は知らない、という人もおられるかもしれませんね。


そんなキリのお花は、一度出会ったら忘れる事はあまりなさそうな、目立つ姿と香の持ち主です。

唇形に裂けた大きな紫色の花が、枝先にゴージャスに咲いている姿。
そして、濃厚で強い香。


夏に柔らかな毛に包まれた褐色のツボミをつけ、冬を越し、翌年の春に長さ5~6センチの花を咲かせるキリ。
開花の10カ月前くらいにツボミをつける事は、フラワーエッセンスを生成させて頂いてからかなり後に知ったのですが、十月十日(トツキトオカ)の妊娠期間がイメージされ、この花のエネルギーに通じるようにも感じました。

ちなみに、同じく春に開花するサクラ類も、前の年から花芽をつけます。


キリという名前は、切ってもすぐに新芽を出して生長することから。
きる(切る、伐る)が、その名前の由来なのだとか。


丈夫で、防湿効果があり、虫がつきにくく、何と着火温度は400度以上、火事になっても中の着物が焼けないと言われる桐箪笥。
成長が早いキリは、かつては女の子が生まれたら苗木を庭に植え、箪笥を作って嫁ぎ先に持たせる風習があったそうです。

今の時代、桐箪笥はあまり見かけなくなってしまいましたが、高価なものは、桐箱に入れて売られていたりします。


これらの事は、大切なものを護り育むというキリのエネルギーが、様々に表現されているように感じます。

長さ3センチ程の尖った卵形の実の中に宿る、翼をつけた数千もの小さな種からも、それを感じます。


キリの花言葉は、高尚。
神聖な木としても知られていて、中国では、霊鳥の鳳凰はキリの木にだけに止まる、と伝えられているのだそうです。


通常、キリの花は、その高貴なイメージ通り、簡単には人の手が届かない高い枝先に咲くのですが、フラワーエッセンスを頂いたキリは斜面に根付いており、香と共にゴージャスな姿を目の前に現して、その存在をアピールしてくれました。
あたかも、人の目線に合わせてくれたかのように。


キリのキーワードは、《絆》。
家族という濃密な関係の中でも、とりわけ母と子の絆に関わるボトルでもあります。


この地上に生きる全ての人は、お母さんの子宮の中で育まれた命です。
母と子の繋がりは、父親のそれとは異なる、独特な質があるように思います。

愛情や温かさと共に、肉体に近い次元の、濃密に絡まる粘着性のエネルギーを感じる人もいるかもしれません。
その感覚は、微細エネルギー解剖学の視点から見るなら、エーテル体とリンクしているでしょうか。


エーテル体は、言わば肉体に命を吹き込む、肉体に最も近い次元のエネルギーボディー(サトルボディー)。

今世での愛情のやりとり、感情、感受性、共感性、肉体感覚を司ります。
この次元を好む人もいれば苦手な人もいるのは、世界共通でしょうか。
年齢によっても、変化するかもしれませんね。

思考活動のない深い安らぎや静けさも、エーテル体の質。
母と子の一体感、触れ合いくつろぐ恋人達には、そういった質が関連していると言えるでしょう。


キリは、親子や母子関係だけでなく、濃密な愛情関係、肉体的接触を伴った親密さに作用してくれるフラワーエッセンス。

相手との距離や境界線の取り方、保護と自立のバランス、過去の体験からの手放せない感情に働きかけたい時にいいでしょう。
親密さを利用したり、親密さを求めるがゆえに転々と恋愛相手を変えていく傾向にも。


そんなキリの作用を受け取りながらも、世界が大きく変動している今の時代だからこそ、自分自身との愛情関係も意識しつつ使ってみませんか。


それは、産道を通ってこの世界に誕生した分身としての自分を、聖なる母としての自分が、慈しみ、護り、大切に育て、世界へと分かち合っていく感じでしょうか。

聖なる母と子の、内側での和解。
命や肉体を持ってここにいる聖なる子、つまりは、自分自身のトータルな受け入れ。


そのままをまるごと包み込む母のようなエネルギーのキリは、思いや活動の背後にある、この世界に存在する事への相反する感情がある時にいいでしょう。

それは、護り育ててほしいといった赤子のような原初的な感情、そして、個という現象が生じた母なる源に溶け去りたいといった感情です。

愛情を通しての100%安全で安心な生き延びと、それを手放して源に還る事で得られる永遠性。

一見、相反するこれらの感情ですが、その根っこには、意外と同じものがあるかもしれません。


存在する事としない事のこの対極を深く観察するなら、次元が異なってはいても、どちらにも、ある種、全面的に可能性を生きたい事や、真に存在したい事への渇求があるでしょうか。


源から切り離された感覚とも関連するこの根源的な燻りは、私達が、この地上で、より微細な次元へと上昇していくための種火ともなるものです。

キリは、この種火を燃え上がらせ、対立や距離のない、源の大きさで個を生きる次元へと誘ってくれます。
言葉では表現しにくいこの領域について、何となくでも引っかかりを感じるなら、キリと共に、このテーマを扱うタイミングなのかもしれません。


また、キリは、否定的な言動、嫉妬をはじめ、感情を基盤とする人間関係を終わらせて、理想とする世界へと自分自身を拡大したい、といった強い思いのある人にも役立ちます。

現実的な領域において、ビジネスや豊かさのステージを上げたいと願う人にも有効です。

次元上昇をはじめ、いわゆるスピリチュアルな世界への構えや欲求ゆえに、力が入りすぎたり、時には悪徳商法的なものに引っ張られてしまう傾向にもいいでしょう。


キリのサポートで自身との絆を深めていった時、理想や願いや上昇は、どんな風景を現し出してくれるでしょうか。

キリは、飲むと同時に、オーラフィールド、お部屋等の属する空間に噴霧するのもお勧めです。
30mLのスプレーボトルに対してなら2滴以上、通常より濃い目にすると、エーテル体に働きかけやすくなります。

噴霧した後は、オーラフィールドや周囲の空間を感じながら、少しの間、穏やかな深い呼吸を続けてみましょう。

パビットラ(中沢あつ子)

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2023年6月~8月 凛然と「ノー」を表明する ナギナタコウジュ

ナギナタコウジュ

シソ科の植物であるナギナタコウジュは、その名の通り、外側にナギナタ状に反り返り、淡い紫の小さな花を、歯ブラシのようにぎっしりと咲かせます。

枯れた後も残るシソとハッカを合わせたような強い匂いは、エネルギーの強さの表現でもあるでしょうか。


薬草としても知られていますが、アイヌの人達は、その匂いが邪気や病魔を寄せ付けないとして、ナギナタコウジュのハーブティーを日常的に飲んでいたのだとか。
この花のフラワーエッセンス誕生からかなり後にその事を知り、受け取ったメッセージと共通する質を感じました。


武器の薙刀としては、ハートサポートシステムからすぐの比叡山の僧でもあった、薙刀の名手、武蔵坊弁慶の姿が思い浮かびます。

女性と薙刀といえば、巴御前や静御前が連想されたり、江戸時代に武道として確立した事で、武家の女性がたしなむイメージもあるでしょうか。
薙刀を持つ女性の凛としたイメージは、ナギナタコウジュのエネルギーを表現しているように思います。

余談ですが、いわゆる〇道(茶道、香道、合気道、弓道等々)と呼ばれるものって、所作が美しいですね。


ナギナタコウジュのキーワードは、《境界線》。

言葉であれ、行動であれ、エネルギーであれ、明確にきっぱりと拒絶したい時に役立つボトルです。


ナギナタコウジュが与えてくれる、外側からの否定的な言動やエネルギーを拒絶する強さは、個としての自分自身を護る事と繋がっています

例えば、どう考えても理不尽な仕打ちをされた時、当然あるべき権利を侵害された時に。


・・・とはいっても、現実世界では、役割や立場等から、拒絶する事が難しい場合も少なくありません。

現実的には「ノー」を表明しにくい時、ナギナタコウジュは、エネルギーレベルにおいて、オーラフィールドへの侵入を拒絶すると共に、内側の尊厳を護れるようサポートしてくれます。

悪意や攻撃をはじめとする意図的なエネルギーをぶつけられた時には、受け取り、吸収しないよう助けてくれるでしょう。


その一方、ナギナタコウジュの真骨頂は、自分自身で「ノー」を表明する事のサポートでもあります。
明確に「ノー」を言いたい時、言う必要のある時にいいでしょう。

「ノー」を言う言わないを通り過ぎての、もはや話し合いすら拒否といった、完全な拒絶の表明の時にも、このフラワーエッセンスが役立ちます。


また、言いにくいけれど断りたい、ぎくしゃくせず穏便に距離を取りたい・・・人生で誰もが遭遇するちょっとした出来事に対しても、ナギナタコウジュは有効です。

逃げるみたいでズルいかな、相手にどう思われるだろう、悪い噂をたてられないだろうか、霊的成長からハズれるかな・・・日本人にありがちな傾向をはじめ、自己イメージやある種の構えが発端となり、関係をより複雑で痛みあるものにしてしまいがちな人にとっても、明晰さをもたらしてくれるこのフラワーエッセンスが役立ってくれるでしょう。


いずれにせよ、ナギナタコウジュは、様々な次元において、拒絶したいものを遠ざけてくれるのですね。


他者の影響を受けやすく、明確な意思を表明出来ないため、利用される、搾取される、いじめや八つ当たりのターゲットにされる等、犠牲者になりがちな傾向にもいいでしょう。


このフラワーエッセンスは、いわゆる弱者的な立場の人が、自身の尊厳と権利を取り戻す目覚めのプロセスを、頼もしく後押ししてもくれます。

今の時代、「ノー」を飲み込まねばならなかった昔の時代と比較して、自身の尊厳や権利の為に、声をあげやすくもなってきています。
世界中の様々な領域で、それが見て取れます。

ナギナタコウジュは、そんな今とこれからの時代に重宝するボトルでもあるのですね。


このフラワーエッセンスを使う時には、薙刀を持つ美しく勇猛な武将(性別に関係なく)が護ってくれている、あるいはそんな主人公になった自身をイメージしてみるのもいいでしょう。
ナギナタコウジュのエネルギーと共に、武将のイメージが下位のエネルギーボディー(サトルボディー)に吸収される事で、対人関係における表現の選択肢を広げてくれるでしょう。

対人関係でエネルギーを枯渇させない在り方を育ててくれる事から、人によっては、一定期間、このフラワーエッセンスを使われる事をお勧めします。


飲む以外では、歓迎しないエネルギーが侵入してこないよう、お部屋等にスプレーする方法もあります。
玄関、ドア、窓、排水口等、何かが出入りする場所には、念入りに噴霧するといいでしょう。

スプレーによってエネルギーの砦を創造してくれるので、オーラフィールドや空間のデイリーケアとしても役立ちます。

敵と見なした対象を気にしすぎる、戦いすぎる傾向がある場合、エネルギーの砦作りはナギナタコウジュにお任せして、リラックスする時間を増やして頂ければと思います。

パビットラ(中沢あつ子)

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2023年3月~5月 集団の中で自分らしさを表現する事を許す ノハラクサフジ

ノハラクサフジ

日当たりのよい草原や河原に根付き、房状の紫の花を咲かせるノハラクサフジは、本州では中部地方や秋田県等で、薩摩半島でも見られます。
比較的珍しいお花だと言われる事もあるのですが、似た感じのお花は結構存在していますし、一見、珍しそうには見えません。

そんな質も、このノハラクサフジのエネルギーを表現しているでしょうか。


マウントフジフラワーエッセンスの場合、事前にエネルギーを頂く花の種類を決めたり、図鑑で調べたりする事はありません。

知らない姿勢、未知なる展開に繊細でオープンでいる事が、かえって花達との深い出会いへと誘ってくれるのですね。
そして、結果的に、メッセージを受け取ったりエネルギーを頂いた後に調べた事が、数多くシンクロしているのは面白いです。


《集団の中での自立》というキーワードを持つノハラクサフジは、集団の中で、自分自身の個性を自然に表現する事をサポートしてくれるボトル。

ひとりひとりの個性、違っている事、多様性について、承認を無理強いしたり、自動的に拒絶したり、関わらないよう距離をとったり・・・といった反応のスペースからではなく、反応も含めた自他の存在自体を認める事(各種「フラワーエッセンス講座」で学ぶカウンセリングの基本でもあるかも)を模索中の今の時代にとって、必要度の高いボトルだとも言えるでしょう。


そんな時代変化を感じながらも、不特定多数の中での自己表現について、怖れや抵抗がある、緊張してうまく出来ない・・・そんなふうに感じる人にとって、ノハラクサフジは重宝するボトルです。

例えば、集団の中で一歩後ろに引いて、自らを目立たない存在にしたり、発言しない事を選んだり。


そこには、自分自身の個性を集団の中で表現する事で、反感や競争等の面倒な事に巻き込まれたくない、過度な期待や仲間意識に縛られて個性を曲げられたくない、といった思いが隠れていたりもします。

その一方、個人的に1対1で関わる時には、無理なく自己表現出来るという人も。
集団の中では隠しがちな独自の個性を持っていて、その魅力が1対1だと相手に伝わりやすいなら、ノハラクサフジはよりフィットするでしょう。

趣味の仲間等の特定の集団以外で、自分らしさを出す事に困難さを感じている人にもいいでしょう。


ノハラクサフジは、集団の中での個人の力関係と関係する、第3チャクラのカテゴリーに属しています。

後で気づいたのですが、第3チャクラにカテゴライズされている花達は、ノハラクサフジ以外の8種類全てがイエロー系。
ノハラクサフジが、あたかも異なる色を持つ自身の存在を隠すように、第3チャクラの振動の色でもあるイエローの花達の中に、埋もれるように紛れている感じを受けます。


ノハラクサフジの紫が、イエローの補色である事も興味深いです。
対極であり、補い合いもする補色は、互いの存在感が鮮やかになる、つまりは目立たせる組み合わせだとも言えます。

イエローの集団の中で息をひそめているノハラクサフジに、個人的に近づいてみるなら、その美しい紫の姿に気づくのです。


ノハラクサフジは、その人の美しい個性が、狭く限定された領域に留まる事なく、より広い領域で分かち合えるように助けてくれます。

隠れた才能があるけれど、公にするには躊躇する、受け入れてもらえるか分からない・・・そんな時にも、ノハラクサフジは役立ちます。

こういった点から、転校、転職、転居先等で、スムーズに自分らしさを表現していきたい時にもいいでしょう。


~ 以下は、書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の”Being”―」からの抜粋 ~

私達は、人といる時も一人でいる時も、本当の自分らしくありたいと願います。
でも、そう思いながらも、他の人と違っている事を恐れて、世間や周りに合わせてしまいます。
とりわけ日本人には、その傾向が強いかもしれません。
ノハラクサフジが、自分らしく在る事に対する内側の葛藤をゆるめてくれるでしょう。
血縁を通したつながり、地域や社会の集団の中でのつながり、そして、地球や大宇宙とのつながり……。
私達も宇宙も、関係する事で成り立っています。
エネルギーの領域では、人間も、動物も、植物も、モノでさえ、共鳴し合います。
そして、全体の内に在る私達のひとりひとりは、ひとつとして同じではありません。
ひとりひとりが、ふたつとない多様性、ユニークさを持っているのです。

パビットラ(中沢あつ子)

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2022年12月~2023年2月 自由に思い込んでもいい人生を楽しむ ニラ

ニラ

新型コロナ、ウクライナ・・・まだまだ、世界中で様々な事が起こり続けています。

ネットの発達と共に、古の時代では入って来なかった遠く離れた地からの情報も得られるようになり、私達の脳もオーバーロードし気味です。

世界中の情報が交錯しながら、かつてはなかったスピードで、相互に影響を与え合っている今の時代。

例えば、昭和の日本で正しいと見なされていた事が、今は正しくない事になっていたりします。
また、今は正しいとされている多くの事も、100年後はどうなっているか、分かりません・・・。

正しさは、時代や地域によって、変化していくもの。
その背景には、それぞれの立場や利害、それらに折り合いを付ける事が絡んでいたりもします。

情報の伝達がスピーディーかつ量が多い事は助けとなりますが、正誤の見極めや、どれをチョイスすればいいのかと、かえって混乱してしまう事もあるでしょうか。

ひとつの事に対して多くの正誤が飛び交い、迷う時、万人共通の正しさや正解があれば楽なのに・・・と思いませんか?
他者との和を気にかける日本人には、とりわけそういった傾向があるかもしれません。

・・・という事で、今回は、《自分自身の正義》というキーワードを持つ、ニラをチョイスしてみました。

3000年以上前に中国で栽培されていたのが日本に伝わったニラは、「古事記」にも登場する歴史ある植物。
東アジアではポピュラーな野菜ですが、欧米ではあまり馴染みがないのだとか。

その生命力の強さや強い匂いからか、元気にしてくれる野菜とされ、漢方でも重宝されているニラ。

仏教では修行に適さない野菜とされてもいるニラですが、マウントフジフラワーエッセンスでは、まっすぐに伸びる茎先に咲く、たくさんの白いお星様のような野生のニラのお花のエネルギーに着目し、エネルギーを頂きました。

《自分自身の正義》というニラのキーワードは、ちょっと身構えてしまいそうです。
でも、そういった反応もあえて意識して、このキーワードとなりました。

ニラが表現する、《自分自身の正義》とは?

それは、身構えてしまいそうな万人共通の正誤探しを脇に置いた、自分自身にとってカチッ!とくるかどうかの、制限のない感性のようなもの。

そんな腑に落ちる感を磨いてくれるのが、ニラの特質です。

また、外側の正誤だけでなく、今の自分にはしっくりこなくなった内側の古い価値観を手放すサポートもしてくれるニラは、内外をスッキリさせて、意識的な選択を後押ししてくれます。

いずれにしても、私達の人生は、それが外側からのものであれ内側からのものであれ、自身の思い込みで出来ています。

万人共通の固定した正誤はなく、正誤とは、何かに対しての個人の立ち位置で決まります。

自身の立ち位置によって、正が誤に転じたりもしますし、〝私の正〞と〝あなたの誤〞が生じたりもします。
そして、人生は、流動的に創造されていきます。

単純な数字の計算と違って、正は、変化なしではなく、ひとつだけではない、のですね。
だから、どちらかに決めて、それ以外を否定する必要もない事って、意外に多いかもしれません。

正誤の戦いは、結果的には自身の内側の戦いとなり、そこには正誤も勝敗もありません。

正誤について、少し離れた距離で見守るスペースを与えてくれるニラは、選択に対する緊張をほぐし、人生に対する安らいだ向き合い方のコツを育ててくれます。

自身の正誤といった思い込みの一種に、そこまで縛られ続けなくてもいいというのが、ニラの《自分自身の正義》なのです。

脳内での正誤の葛藤が窮屈だと感じる時には、ニラのサポートを頂いてみて下さい。
そして、瞬間瞬間の自発性を許し、自由に思い込んでもいい人生を楽しみましょう。

正誤を解決しないと、人生を楽しめないわけではありません。

二元性を超えていくボトルでもあるニラは、内なる対立や葛藤を持ったままでも人生を楽しめる事を、思い出させてくれます。

パビットラ(中沢あつ子)

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2022年9月~11月 始まりと終わりの中間の、対立のない静けさを味わう ツリガネニンジン

ツリガネニンジン

ツリガネニンジンの和名は、下向きに咲かせる釣鐘のような形の花と、朝鮮人参に似た根を持つ事から。

すうっと長く伸びた茎の先に沢山付いた花は、野に響くベル群のよう。
妖精達が鳴らして、秋の訪れを知らせてくれそうな姿です。

優しい愛情、詩的な愛、大切な思い出、感謝、誠実といった花言葉も、そんなイメージにぴったりです。

今回の季節のお勧めの9月~11月は、丁度、この花が咲いている時期。

釣鐘形の花は、紫やブルーや白、丸みを帯びていたり細長かったりと、色や形に変異が多いです。
葉っぱも同じく、1本のツリガネニンジンに様々な葉をつけたり、違う植物に見えるものもあります。

根は成長と共に地中深くにもぐり、茎は折ると白い乳液が出ます。

ツリガネニンジンは、両性花。
自家受粉を避け、他家受粉をするために、雄性先熟で表現を変えていきます。

開花時のめしべはこん棒状で(雄花期)、おしべが花粉を出し終えると先端が分かれ、めしべが花粉を受け取れるように(雌花期)なるのですね。

かつては秋の野によく見られたツリガネニンジンも、今は珍しくなってしまいました。

富士山麓でこの花と出会い、フラワーエッセンスを生成し始めた途端、遠くでお寺の鐘がゴォォ~ン!と大きく鳴り響いた印象深いシンクロは、今でもはっきりと覚えています。

そういえば、各種「フラワーエッセンス講座」やレイキでのエネルギーワークの際、特別なスペースへの敷居をまたぐ前後に、チベタンベル(ティンシャ)等の鳴り物を活用する事があります。

お寺の鐘、神社の鈴、教会のベル、学校のチャイム・・・。

鐘をはじめとする鳴り物は、様々なシーンにおいて、終わりや始まりといったある種の合図、前と後の区切り、浄化を含めた仕切り直し等に使われる道具でもあります。

祈りによる昇華と純化のように、新たな段階の始まりの招待ともなる終わりの合図の鐘、それが、このフラワーエッセンスのエネルギーです。

かなり後で知った、雄花期から雌花期へと変化していく性質も、このフラワーエッセンスのエネルギーを表現しているようにも感じます。

私達は、何かの始まりを経て終わりへと進み、終わりから始まりへと移動していきます。
その大きなものとしては、生と死があるでしょうか。

私達は、始まりと終わりという二極の間を、状態や形態を変えながら、様々な関わりを招待したり手放したりしながら、動き続けます。

普遍的で宗教的なエネルギーを帯びてもいるツリガネニンジンは、終わらせたい、前を向いて進んでいきたいと思った時に使いたくなる、手放しのためのフラワーエッセンス。

例えば、大切な人との別離や死別、忘れたくても忘れられない辛い過去がある時に。
幸せな過去が忘れられず、今を否定してしまう時にも。

ツリガネニンジンのキーワードは、《祈り》。

宇宙、天、光、神・・・何と呼んでもいいのですが、エゴを超えたより大きなスペースへの明け渡しを促してくれるフラワーエッセンスです。

水平にも垂直にも拡大した視野、霊的な次元から、物事を捉えるセンスを育ててくれるでしょう。

ツリガネニンジンは、二極の丁度中間に「在る」事へと、開いてもくれます。
それは、始まりと終わりの間の動き、あるいは、動きの停滞とは異なる次元のもの。

対立のない動かぬ中間には、行為(Doing)ではなく、存在(Being)があります。

鐘の合図のその瞬間には、終わりでも始まりでもない、ある種のスペース、一瞬の静止がやっても来ます。

何かに巻き込まれている時には、可能であれば、すぐにツリガネニンジンを飲み、両手でボトルをハートにあてて、深くゆったりとした呼吸と共に、穏やかな祈りのエネルギーを受け取って下さい。

日々の祈りや瞑想のようなものとして、これを習慣付けるのもいいでしょう。
眠る前に、横になったままで行う事も出来ます。
使用中のミックスボトルがあっても、この時だけは、ツリガネニンジンを使うようにされてもいいでしょう。

飲む以外では、お部屋にスプレーする方法もお勧めです。

新型コロナ、気候の変動、外交の緊張をはじめとする、このところの世界的な動向。

そんな集合的な規模の事柄は勿論、個人的な事柄にも、このフラワーエッセンスは助けになります。

終わりや区切りがやって来ないように思え、心が落ち着かない時、ツリガネニンジンの鐘の合図のエネルギーは、思考であれ感情であれ行動であれ、いったん、全てを脇に置く事をサポートしてくれるのです。

辛くなりそうな予感があるなら、そうなる前に、ツリガネニンジンの使用をスタートしてみて下さいね。

ツリガネニンジンのサポートで、始まりと終わりの中間の、対立のない静けさに留まる少しの時間を持つ事は、日々のリセットとしても役立つでしょう。

パビットラ(中沢あつ子)

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2022年6月~8月 ショックやストレスからの再生のために、エネルギーの身体を修復する ヒレハリソウ

ヒレハリソウ

この花は、和名のヒレハリソウよりも、英名のコンフリーの方が知られているかもしれません。

紀元前400年からハーブとして栽培され、様々な地域で、帰化植物として広く根付いています。

ヨーロッパでは、根や葉を炎症や骨折の治療に使う等、古くから薬草として重宝され、奇跡の植物と呼ばれています。

ナチュラル系の輸入バームやオイルを目にしますが、日本でも、かつては、鑑賞用、飼料用、食用、薬用等として栽培されていました。
現在は、刈り取られても再生するそのたくましい生長力と繁殖力で、野性化しています。

日本に帰化しているのは、通常のヒレハリソウとオオハリソウとの雑種起源のもの。
ちなみに、ロシアンコンフリーは、ヒレハリソウとオオハリソウとの交配園芸種。
日本では、これら3種が、ヒレハリソウ(コンフリー)の主な種としてひとくくりにされているようです。

ヒレハリソウは、5月~8月頃、茎の頂に先端が巻かれた花穂を出し、釣鐘状に垂れ下がった、紫、紅紫、白色の長さ1、5~2センチくらいの花を、下向きにたくさん咲かせます。

このフラワーエッセンスには、紫色のお花のエネルギーがインプットされています。

ヒレハリソウのキーワードは、《修復》。

可愛らしい少女のスカートのようにも見えるヒレハリソウの花弁ですが、ヒレハリソウを入れたお風呂に入り、処女性が修復したという魔法のような伝説もあるそうです。

ショックやトラウマ、長期のストレスによるエネルギーボディー(サトルボディー)の修復のために、まずお勧めしたいのが、ヒレハリソウ。

ショックやトラウマに作用するコンビネーションボトル「個人や集団の過去を癒す」のフォーミュラー、オーラスプレーにも含まれていますが、エネルギーボディー(サトルボディー)の修復をメインテーマにしたい場合は、ヒレハリソウの単体使いがお勧めです。

単体使いすると、その花のエネルギー的な作用が際立つのですね。

エネルギーボディー(サトルボディー)修復の作用から、このボトルは、エネルギーワーク、ボディワークの補助としても、広く活用する事が出来ます。

新型コロナ、ロシアのウクライナへの軍事侵攻等、まだまだ世界は揺れ動いています。

自分自身が直接体験した事は勿論ですが、今の時代、体験していない事も情報として入って来るので、それによって気持ちが大きく動かされる事も少なくありません。

とりわけ、映像等を通して視覚的にダイレクト入って来るものは、正誤、善悪といったアタマの判断に関係なく、それ自体に反応して気持ちが動かされます。

同時に、情報過多になると、アタマが混乱しがちにもなります。
多くの情報は入って来ても、政治、経済、外交といった様々な立ち位置もあって、何が真実なのか判断がつかない事も。

微細エネルギー解剖学的には、ショックな体験をした時、快不快を感じるエネルギーボディー(サトルボディー)であるエーテル体は、ショックを感じ続けないよう身を護るために、肉体から一時的に離れようとします。
失神したり、血の気が引く感覚になったり、現実感や時間感覚がなくなったり、記憶が飛んだりするのは、そういったエーテル体の状態が関係しています。

ちなみに、自然の中で平和にくつろいでいる時、自分のスペースが広がった感じがするのも、エーテル体の状態が関係しています。

瞑想で、身体の一部や全体が大きくなったり、消えたり、宙に浮いたり、現実とは異なる姿勢で座っていたり・・・といった感覚も、エーテル体と関わっています。

さて、ショックですが、多くの場合は時間経過と共に治まっていき、エーテル体も元の状態へと戻っていきます。

でも、大きなショックの場合は、エーテル体がズレたり収縮した状態が長引き、やがてはそれが肉体次元へと伝わり、数か月後等、少し遅れて心身の不調として表現される事もあります。

ヒレハリソウは、今まさにショックを受けた直後だけでなく、古いショックにも働きかける事が出来ます。

今世の過去だけでなく、アストラル体にインプットされた過去世のエネルギーにも作用してくれます。

ヒレハリソウは、突然前触れもなく降りかかってきた天災、人災等、いわゆる「青天の霹靂」のようなショックな体験に有効です。

今も日本や世界で起こっている事を通して、エネルギーボディー(サトルボディー)が受けた影響がうまくリリースされていないと感じる時、深刻な状態になる前に整えてくれるでしょう。

また、ヒレハリソウは、ここ何年かのコロナ禍での生活のように、長い間、ストレス下にさらされている状況にも役立ちます。
長期間のストレスもまた、エネルギーボディー(サトルボディー)に影響するのですね。

最新の研究では、オミクロン株の後遺症が出た場合、長期化する可能性があるとの事。
微細エネルギー解剖学的には、免疫力や肉体的な強さは、エーテル体と深く関わっています。

なので、感染や後遺症、また、それらの予防的な意味でも、エネルギーレベルにおいて、ヒレハリソウは頼りになるかと思います。
(フラワーエッセンスは医療行為やお薬に代わるものではないので、併用についてはお医者様に相談なさって下さいね。)

ヒレハリソウは、強い薬物をはじめ、モノでも、出来事でも、人でも、情報でも・・・毒にも薬にもなるくらいの影響力を秘めた何かからの影響に役立つボトル。
人生の様々なシーンで、エネルギーサポートとなってくれるボトルだと言えるでしょう。

今回の「マウントフジフラワーエッセンス季節のお勧め」にヒレハリソウをチョイスするにあたり、改めて調べてみたところ、ロシアンコンフリーが出てきたのは、ちょっぴりタイムリー感があります。

ロシアで「畑の牛乳」と呼ばれているロシアンコンフリーは、侵襲(侵入し襲うという意味で、医学の世界でも使われています)的な植物ではないとの情報もあって、興味深かったです。

書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の”Being”―」にも少し書きましたが、ヒレハリソウと初めて出会った時には、未来のために采配してくれたようなエピソードがありました。

パワフルな影響力を持つヒレハリソウのエネルギーは、共時性も印象的です。

ヒレハリソウは、様々な死と再生のプロセスに役立ちます。
再誕生を促すこのボトルは、過去、現在、未来と、時間軸を超えて作用してくれます。

ヒレハリソウは、古いものから脱皮し、新しいものへと根を下ろす「上昇と下降のボトル」なのです。

パビットラ(中沢あつ子)

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