マウントフジフラワーエッセンスの「豊かさと成功」に、とても惹かれるものを感じます。
しかし、今の自分の状況には、「パワーと実現」がぴったりだという事も理解しています。
今の職場で実績が認められてきて、やりがいのあるポジションにつけつつあるのですが、特定の人(ひとり)に嫉妬されています。
表面上は普通に接触するように努めてはいますが、上司に嘘のおおげさな内容を告げ口し、私の印象を悪くしようと画策しているので、どうしようかといったところです。
このような場合は、今の自分のマイナス感情にぴったりの「パワーと実現」を使った方がいいのでしょうか。
それとも「豊かさと成功」を使って、運の流れや幸運を引き寄せる方がいいでしょうか。
心情的には、いつかどちらも使うことになりそうですが、どちらから始めたら方がいいですか。
回答:
個人的な内容が含まれているご質問ですが、マウントフジフラワーエッセンスを選ばれる際のご参考になるかと思い、取り上げさせて頂きました。
私達は、長い人生の中で、本人が進もうとする道を妨げようと、外界(他人、環境等)から、否定的エネルギーを向けられる状況に遭遇する事があります。
文面からだけですと詳細は分かりませんが、質問者の方は、そういった状況におられるのでしょうか。
もし、他者からの攻撃で気持ちがとても傷ついてしまっており、それでも負けたくないと思っておられるなら、「パワーと実現」から使われた方がよいように感じます。
ご自分でも「ぴったりだと」と書いておられますので、どこかで選択しておられるようにも感じました。
以下の内容を読まれて、優先するボトルから使ってみましょう。
「豊かさと成功」も、豊かさを邪魔する障害や攻撃によいのですが、どちらかと言うと、家庭環境、金銭事情、経歴、人脈のなさ、不運な出来事、目に見えない領域、こういったものからの邪魔を得意とします。
「パワーと実現」は、外界から自分に向けられた否定的エネルギーを、きっぱりとはねかえしたい時、はっきりと断りたい時に役立ちます。
「私は~~を望んでいる」、「私は~~を望んでいない」、「やめて下さい」と、自分自身を、明確に力強く主張すべき時にいいんですね。
あるいは、言葉では言えない状況であれ、自分自身の核を強く保つ事が必要な時に役立ちます。
つまり、我慢したり犠牲になるのではなく、自分の在り様や方向性を主張しなければならない時、自分というものをしっかりと持たなければならない時に使うボトルです。
余談ですが、状況によっては、きっぱりとはねかえしてしまうとマズい場合もありますよね。
例えば、製品のクレーム処理の電話対応で、感情的攻撃的に苦情を言ってこられたお客様に対して、言葉で強く拒否は出来ませんよね。
そういった場合は、相手の否定的エネルギーを取り込まないように防御し、うまく浄化していける「防御と浄化と刷新」がいいかと思います。
また、外側からの攻撃や巧妙な操作によって、自分の方が正しいにも関わらず、理不尽なやましさ、弱さ、罪の意識を感じさせられるような状況に陥ってしまった時にも、「パワーと実現」は役立ちます。
落ち込み、自信喪失、気持ちを傷つけられた状態から、自分が正直で誠実な存在である事を思い出し、自信と自己尊厳を取り戻せるように助けてくれます。
例えば、心ない同僚の策略により、ひどい扱いをたびたび受け、周囲に誤解のウワサが広がっているけれども事実は違う、自分自身の全存在で、宇宙に向かって100%潔白だと言える状態ですね。
あるいは、ポジションであれ何であれ、それを求める事自体は何も悪くないのに、主張出来なかったり、争いを嫌う性格故に遠慮してしまったり、罪悪感を持ってしまう傾向にもいいでしょう。
相手がそういった性格を敏感に察知し、強い圧力や攻撃をかけて来た時にも。
また、「パワーと実現」は、リーダーシップ、先駆者的なエネルギーの開花にも役立ちます。
職場等で、リーダーシップが必要とされるポジションにいる時にいいでしょう。
パワーを誤用せず、落ち着いて正しく使っていけるようサポートしてくれます。
この解答をお読みになり、「ああ、現実は嫌だなあ。巻き込まれたくないなあ」と思われた、こころ優しいフラワーエッセンスファンもおられるかもしれません。
でも、「パワーと実現」は、そんな嫌な現実世界に働きかけてくれるんですね。
現実は、時には居心地が悪く、情容赦ない世界なのですが、そこで全面的に強烈に生きる事もまた、私達の学びなのかもしれません。
このボトルは、たくましさをオープンしてくれます。
「風と共に去りぬ」のスカーレットのようなボトルです。
そして、「パワーと実現」は、そのたくましさで現実世界に対するストレスの耐性を高め、世界の中での体験の向こうにある霊性とつながる事を、サポートしてくれます。
それは、螺旋階段を登り、選ぶ事のない第3の選択へと向かう旅です。
ひとつ上の階に行った時、同じ風景も違って見えるかもしれません。
文:パビットラ(中沢あつ子)