マウントフジフラワーエッセンスを使っていますが、独特の作用があると感じています。
使用している多くの人達から聞くのと同じく、これからの日本や地球にとって、集合的に見ても、とても必要とされるフラワーエッセンスだと思っています。
この時代にマウントフジフラワーエッセンスが誕生した事に、深い意味を感じざるをえません。
マウントフジフラワーエッセンスは、一般的なフラワーエッセンスの作り方である太陽法やボイル法等とは違う方法で作られているとの事ですが、その事も、独特の作用に影響しているのでしょうか。
だとしたら、マウントフジフラワーエッセンスの作り方と、太陽法やボイル法との違いとは何なのでしょうか。
秘境的な意味も感じるのですが、どのような作り方をしているのか興味があります。
■弊社注:
2012年6月10日の震災支援チャリティワークショップ参加者様からのご質問を元に、セラピストさんやクライエント様からの類似のご質問を、おまとめさせて頂きました。
回答:
まず、フラワーエッセンスに対する捉え方や関わり方は人それぞれである事、それぞれがユニークで個性ある価値を持っている事への尊敬と尊重の下、マウントフジフラワーエッセンス開発者の個人的体験という前提で、お読み頂ければと思います。
ご質問者様がおっしゃるように、マウントフジフラワーエッセンスは、太陽法やボイル法といった作り方とは違う、独自の方法がとられています。
まず、マウントフジフラワーエッセンス開発者に、
- 二元性を超えた次元へと開く事
- 意識の究極の探求者達を応援する事
(意識の究極から言うなら、“超えた”、“探求者”といった表現自体が矛盾しているのですが)
こういった事をサポートしてくれるフラワーエッセンスを、世界中から探し求めた経緯がありました。
でも、そういったフラワーエッセンスとは出会えませんでした。
また、花以外、例えば、人の想念が協力し育て上げた次元のエッセンス等は、聖なる存在の名前等のフォーカスしている対象やラベリング故に、マウントフジフラワーエッセンス開発者が求めているものではありませんでした。
その事が、自然な流れで、自分達で作ろうという方向へと進ませ、マウントフジフラワーエッセンスが誕生したのです。
太陽法は、花を摘み取り水に浸け、光を当てる事によって、火の力で花の生命力を水に解放し、情報として入れ込む方法です。
ボイル法も同様に、火の力、水の力を使っています。
マウントフジフラワーエッセンス開発者は、これらの作業を、二元性の象徴、表現としても感じたのですね。
マウントフジフラワーエッセンス開発者が探求し、創造しようとしているフラワーエッセンスにとって、これらの作業がある種のプロセスを制限してしまうと、直観的に感じたのです。
現実の行為や現象は、エネルギーが形をとって現れたものです。
見えないエネルギーの世界の質は、現実に形となって現れるのです。
だからこそ、微細なエネルギーを扱う際には、ある意味、現実にとる方法、作業、形が、とても大切になると言えましょう。
勿論、太陽法やボイル法も花の錬金術であり、作る過程での環境は重要です。
例えば、光や、水や、磁力。
光は、太陽法の背後で働く作用からみて、はずせない基本条件です。
太陽法を最大限に活かしたいのであれば、作る過程において、光がほんの少しでも遮られないようにしないと、完全な形でフラワーエッセンスを生成する事は出来ません。
つまり、光を扱う太陽法にとって、影という闇は禁物だと言えます。
ちなみに、バッチ博士の製造法をそのままに受け継ぐという理念の下に作られたヒーリングハーブ社のバッチフラワーエッセンスは、背後で働く作用について深くは触れていないかもしれませんが、光を始めとする環境設定に細かく注意を向けている数少ないブランドのひとつでしょう。
こういった作用は、作り手自身が理解しているいないに関係なく、その背後で自然に起こるものではあるでしょうが、作り手の在り方の深みが、環境設定の純粋性を上げる事を助けるのではないかと思っています。
また、太陽法やボイル法における光や磁力の作用は、エネルギーボディー(サトルボディー)の下位身体(特に第2身体、第3身体)の次元を体験的に理解していれば、理に適った方法である事が視えてくるでしょう。
ボイル法で使われる火の力は、太陽法の光の力にかわるものです。
それらは、破壊と創造という二元性の両極の力によって、ダイナミックな変性を起こさせます。
光の力によって、摘み取られた花の肉体は死に、花の魂の本質的な力は、水に閉じ込められ、保存され、生かされます。
肉体の死を通した分離によって、蘇った純粋な要素は、この世界に長く留まる事が出来るのですね。
私達人間も、死を迎えると、肉体は地に、魂は天に還ります。
また、肉体の情報をインプットした第2身体は肉体の消滅後に消え去り、第3身体の情報は、次の生へと持ち越されます。
そして、そのもっと上には、肉体やエネルギーの生滅を超えた次元があります。
マウントフジフラワーエッセンスは、エゴや肉体の死には触れられる事のない次元、動きや変化を超えた次元を指し示すものでありました。
ですから、二元性を超える事や、磁力の縛りから自由である事をサポートする観点から、マウントフジフラワーエッセンスの生成にあたり、花の肉体と魂を分離させる作業ではない、生と死という分断を超えた、全く新しい何かを見い出す必要がありました。
光と闇の対立や軋轢、あるいは片方への執着を超えたところ、分離や分裂が起こる前の次元、現象の背後に広がる次元を探求するマウントフジフラワーエッセンスの生成には、従来の方法は役立たなかったのですね。
結果的に、マウントフジフラワーエッセンス開発者は、その方法へと、自然と開かれる事となりました。
マウントフジフラワーエッセンス開発者自身が意識の究極の探求者であった事と共に、瞑想者であった事、また、エネルギーワーク、メタフィジカルワーク、微細エネルギー解剖学の専門家であった事が、実際面で、「意識」に働きかけるフラワーエッセンスの開発に役立ってもくれました。
人間、何が役立つか分からないものです。
していた事の意味の深みが、後にパズルを解くように際立ってくる事は、少なくありません。
生死の循環の二元性を超えた次元は、生まれる事も死ぬ事もない次元です。
それは、創造と破壊の根本である“私””という個への磁力が消える事で起こる、真の第2の誕生、高みの再誕生とも言えるかもしれません。
“現象””を超えた次元へと進んで行く上で、太陽法やボイル法を使う事は、あり得なかったのですね。
そして、結果的に、この作り方自体が、2011年の3.11からの放射能の影響を受ける事のない、フラワーエッセンスの誕生ともなってくれました。
今、富士山直下の活断層も話題となっています。
この時期、霊峰富士の周辺の花達に呼ばれ、この先も充分に供給可能なエネルギーを頂けた事、間に合った事を、とてもありがたい事だと感じています。
3.11の体験は、生まれる事、生きていく事、死ぬ事について、多くの人々が深く考える機会ともなりました。
それはまた、“私””や生死という個の単位を超えたところへと開き、より大きな存在として、この世界で生きる事にもつながるのではないかと感じています。
また、面白い事に、マウントフジフラワーエッセンスが指し示す次元は、方法を超えた次元でもあるのです。
ここで、上に書いた、
「現実の行為や現象は、エネルギーが形をとって現れたものです。
見えないエネルギーの世界の質は、現実に形となって現れるのです。
だからこそ、微細なエネルギーを扱う際には、ある意味、現実にとる方法、作業、形が、とても大切になると言えましょう。」
は、見事に覆されます。
でも、これを、下位身体の次元で理解しようとすると、マインドが混乱してしまうでしょう。
書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の”Being”―」にも書きましたが、ある西洋人のフラワーエッセンス開発者が太陽法でフラワーエッセンスを作る際、「花は、喜んで私達人間にその身を捧げ、犠牲になってくれると言っています」と参加者達に言うのを聞いた時、西洋的なその声かけに違和感を覚えました。
マウントフジフラワーエッセンスが指し示す二元性を超えた次元では、与える者も受け取る者もなく、「何も、起こってはいない」のです。
方法を通して、方法を超えて行く事もまた、マウントフジフラワーエッセンスの醍醐味だと言えるかもしれません。
文:パビットラ(中沢あつ子)
関連情報
- エネルギーボディー(サトルボディー)、下位身体、第2身体、第3身体等については、執筆記事内、フラワーエッセンスとチャクラ・エネルギーボディー(サトルボディー)・カラーをご参照下さい。
- 今回の内容を、執筆記事内、「第7身体 その32」に、加筆した形で執筆しています。