中川実恵 様
自然なかたち、というのが、マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座を終えての一番の私の感想だと思う。
毎回選ばれるボトルとその意味、そして起こる出来事のシンクロには毎回毎回驚かされたが、あまりにもそれは自然で、当然過ぎて、とりたてて驚くことでもなく、安心して委ねるという姿勢に替えさせられるという、ひとつの確かな要素になっていった。
基礎講座が終わる頃に会社を辞めることになり、仕事を探すわけでもなくしばらく静かにしていよう、と思い始めて4ヶ月が経とうとしている。
それは、文字にしてしまえば「専業主婦」でかたづいてしまうことだが、私の人生では初めてのことで、そう簡単に説明できないというのが本心だ。
仕事を辞めることになったときから、(大きなものに委ねてみよう)という気持ちが心の底に生まれた。
でも、本にはよく出てくる文字だけれど、そんなこと真剣に考えたこともないし、最初は半信半疑だった。
でも、そうせざるを得ない状況に置かれて生活している自分もいたし、またとない時間をこうしてすごすチャンスだとも思っていた。
基礎講座に来ているときに、ある瞑想リトリートを知り、申し込んだ。
いまは、その瞑想リトリートに向けて、毎日ヨガと瞑想で準備をしている。
ヨガと瞑想に、自分の納得できる時間を毎日費やすことができるということも、すこし前の自分では考えられないことだ。
なんの無理も、頑張るぞ、という気負いもなく、自然に楽しんでいるという感じだ。
こういう心境になっていることに、とても感謝している。
これを、流れに委ねている、というんだろう。。と自分の行動から気づかされた。
毎回の授業にも、日々の生活にも、とても自然に、余分な力を抜いている自分に気づく。
これは、明らかに、マウントフジフラワーエッセンスを使い始めてからの変化だと感じている。
7本目のミックスボトルを飲んでいるとき、あることが起きた。
約半年間一緒にくらした犬(生後八ヶ月)を、安楽死させるという内容の話だった。
(詳細は省略しますが。)病院に連れて行ったところから、この決断をするまで、そして、してから・・・。
自分の体から、何かが抜け出てすごく感情的になっていることに、気づいてはいたが、どうしようもなかった。
胃を、一日中掴まれている感じがした。息をするのも辛かった。
胃を、誰かに強く押されている感じもしていた。
この出来事に付随した出来事で、悲しみだけでなく、怒りも強く感じた。
やり場の無い怒り。ショックも強く感じた。
自分の声ではないような、かすんだ声しか出なくなった。
悲しみや、怒り、それらが入り混じって体が震えた。自分は、自分のこの感覚はどうなっていくのだろう、と気が遠くなる感じさえした。
とても怖くて瞑想などできない、と思っていた。じっくりと一人静かに内側に入るなんて、今の私にはまだできない。
またあの悲しみに包まれて、いたたまれなくなる・・・。と強く思うことと同時に、それ以外に道が無いこともどこかで分かっていた。
(でも、神様にお願いしよう。どうかあの犬をお願いします、と。どうかお守りください、と。)と
真剣に思った。祈るような気持ちだった。どんどんと内側に入っていくのを感じていた・・・・・・・・
私は、はっきりと、なにかの感覚を受け取った。これを、メッセージというのだろうか。言葉として、聞こえたわけではない。私の深いところに、直接感覚として何かが伝えられたという感じだった。
(彼は大丈夫だ。完全に大丈夫。あなたの悲しみは、どこからきているものなのか。それは、彼とは関係ない。あなただけの問題だ。彼は幸せだ。大丈夫。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
え?いまの何??ホントに??
驚くよりも何よりも、私の内側が、しばらくぶりで穏やかになっていることに驚いた。
あのメッセージ(?)が気のせいとか、勘違いだとしたら、こんなにも瞬時に、私の心が安らかになるだろうか。ありえない。そこに、疑問の余地はなかった。涙が溢れてきた。
感謝の気持ちでいっぱいだった。
それからというもの、瞑想をするたびに、またすこし、またすこしづつ、何かに触れる感じがした。
何か、大きな深いものに触れて、安らかな感覚を感じた。
それは、触れるたびにすこしづつ私の中で大きくなり、安らかになっていくような感じだった。
そして、やり場の無かった私の気持ちが、穏やかに穏やかにもどっていくのを感じた。
瞑想をしているときばかりでなく、日常の時間の中でも、いろいろなメッセージを受け取った。
私は、目に見えないいろいろな存在に支えてもらっているということを、感覚として感じた。
言葉にして説明すると、とても胡散臭くも聞こえてしまうが、ほんとうに私が感じたことなのだ。
自分でも不思議だった。
立ち直れない、と思っていた自分が、嘘のようだった。
立ち直る、という感覚とはまた違うような気がする。もっと自然な感覚だ。
起きたことは起きたこととして、受けいれている、真実をうけいれる、という方がふさわしいような、そんな穏やかな気持ちでいる。
これが、あるがまま、ということなのだろうか・・
飲んでいたミックスボトルの意味は、毎回飲み終える日まで、詳しく調べないことにしていた。
先入観をなくして、あとからよく自分のことを省みながら、意味を復習しようと思っていたからだ。
今回のボトルの意味をあとから調べて、私はマウントフジフラワーエッセンスに心から感謝した・・・・
〔ボケ:対極の中心が溶け合う。中心にいて選ばないこと、中心にいる強さ。思考と感情のバランス、自他の感情や出来事に巻き込まれたときも、判断することなく反応を覚めて見られるように。激しい感情のアップダウンによって、精神が消耗してしまったとき。日常に瞑想と気づきを持ち込む〕
〔センニンソウ:自然界や神聖な存在とのチューニング。グラウンディングを失うことなく、開いた敏感さを定着させ、洞察力を失わないよう、バランスをもたらす。日常生活の中で、繊細な世界からたくさんのサポートがあることに、より細やかに気づく〕
・・・・・・・・・・
6種類入ったミックスボトルだったが、そのうち特にこの2本の意味は、あとからうなってしまうほど、感覚として体験したものなので、感慨深いものだった。
遠隔ヒーリングの実習では、夫にボトルを選んだ。
手紙の内容や、選ばれたボトルの意味とは直接つながりがはっきりしている感じでもない、驚いたことがあった。
(もちろん手紙の内容と、選んだボトルの意味は、驚くべきリンクをしていたのだが、それ以外のこと:)
夫が、ミックスボトルを飲み始めてしばらくして、楽譜を買って、またピアノを弾きだしたことだ。
夫は、高校を卒業するすこし前までは、ピアニストを目指していた人なのだが、最近はまったく弾くことも無く、軽々しく弾いてほしいというと、やや険悪なムードにすらなることがあった程だった。
触れられたくない何かがあるんだろう位に思っていたが、どう考えても弾かないのはもったいなさすぎる、ととても残念に思っていた。
そんな彼が、ふとしたきっかけで、買い物にいったついでに、「練習したい曲がある」と楽譜を買って、家で練習を始めたのだ。
私は、驚いて言葉がでなかった。
どこか、深い部分でなにかの開放がゆるやかに起こったのだろうと、うれしく思っている。
なにより、本人が一番うれしいに違いない。
がんばる・とか、そういう感じでないと、どうも怠けているんじゃないかと思ってしまう私だったが、マウントフジフラワーエッセンスの講座を受けたことによって、自分のなかのそういう余分な「力み」が、すーっと抜けたような感じがしている。
そして、いままでに無いほどに、完全に大きな何かに委ねている自分がいる。
これは、マウントフジフラワーエッセンスで、より大きな何かに触れることができたからだと、とても感謝している。このフラワーエッセンスのサポートによってできたすばらしい体験を、一人でも多くの人に伝えていくことができるようになりたいと思っている。
どうもありがとうございました。