何かと何かが出会う事で、新たな何かが誕生します。
何かと何かが出会う事で、何かが増えたり減ったりします。
何もないと何もないが出会っても、誕生や増減は起こりません。
誕生や増減の動きの前の、
何もないところへと行き着くのは、
何もないところから生じたから。
何かや何かが消えた時、何もないが明かされます。
パビットラ(中沢あつ子)
何かと何かが出会う事で、新たな何かが誕生します。
何かと何かが出会う事で、何かが増えたり減ったりします。
何もないと何もないが出会っても、誕生や増減は起こりません。
誕生や増減の動きの前の、
何もないところへと行き着くのは、
何もないところから生じたから。
何かや何かが消えた時、何もないが明かされます。
パビットラ(中沢あつ子)
増える事と、減る事。
得る事と、失う事。
例えば、昼と夜、満月と新月、誕生と死、
活動と休息、創造と破壊、幸せと不幸せ。
自然界も、モノも、物事も、私達も。
見えるものも見えないものも、外側のものも内側のものも。
対極の間を動くこの世界の全ては、
一方に留まる事は、出来ません。
全体を分割する事は、出来ません。
この動きの中で生きながら、
選ぶ事から退く時。
何も出来ない事を知る時。
起こる事の両方は、あなたに触れる事のない流れとなり、
あなたは、全体を生きます。
パビットラ(中沢あつ子)
内側か、外側か。
向かう方向によって、
表現は、変化します。
物質と、物質でないもの。
向けられた眼差しによって、
顕れは、変化します。
方向や眼差しが、どこにも向かわない時、
分離の背後で、
ただ在る事は、花咲きます。
その一輪の開花に、
ノウハウやメソッドは、ありません。
パビットラ(中沢あつ子)
内、外、その境界を超えたところでも、
色と形のダンスは、
絶え間なく、起こります。
起こっている事と、
その下にある、起こっていない事。
その全てより深く、
もっと底の、
瞬間の永遠の、
空白の裂け目の、
全てより大きな静けさに、
在り続けなさい。
パビットラ(中沢あつ子)
上昇し、下降し。
拡大し、縮小し。
どんなに遠くに旅しても、
戻ってくるのは、いつも、ここ。
元の元、
最初の最初から、
還るところは、変わらない。
上昇もせず、下降もせず。
拡大もせず、縮小もせず。
どんなに動いていても、動かぬところ。
変わらぬ中心に、私は、在ります。
パビットラ(中沢あつ子)
ただ、起こり、流れていきます。
共に流れる時、
私は、孤立した存在ではなくなります。
すくい取られた時でさえ、
波は、大海から離れた事は、ありませんでした。
私が生まれ、消えていく大海は、
私の内に、
私を通して、生きています。
起こり、流れ。
生まれ、消え。
私は、いません。
パビットラ(中沢あつ子)
光と陰。
存在と非在。
一方を知っているから、反対側も認識されます。
私と世界。
私がいるから、世界も認識されます。
観る私と、反対側の観られる世界。
観る主体が消えた大元では、
観るも観られるもなく、存在も非在もなく、
ただ、ひとつ。
ただ、ありのままに。
パビットラ(中沢あつ子)
光が地上から遠のいていっても、
命は、止まる事なく、息づいています。
光の変化に寄り添いながら、
ひとつの命が、変化させていく形態は、
命を、繋げるため。
ひとつの命が、朽ちるのもまた、
命を、他の命へと繋げるため。
自分の内で、
自分の外へ、
地上のあらゆる命は、繋げられていきます。
世界中の、息づきの間を動き続けるもの、
それは、誰のものでもない、全体です。
パビットラ(中沢あつ子)
澄んだ空の下―。
地上の様々な色が、より鮮やかに輝く季節。
光と色とのコントラストが際立つ中で、あなたの色を見つけましょう。
それがどんな色であれ、
全ての色は、色づけのない空の光から生じたもの。
光からあなたへと降りてきた色を使って、
この地上のキャンバスに、どんな絵を描きましょうか。
深緑を温かな色に変え、花々に実を結ばせてくれる
豊潤と収穫のエンジェルは、
あらゆる命が描く絵を、見守ってくれています。
あなたの一色がある事で、
この世界は、
その姿を、より豊かに彩る事が出来るのです。
パビットラ(中沢あつ子)
天へと光が還る時。
光の軌跡は、豊潤さの形をとって、地上に降りて来ます。
地上に降りた現れは、熟成と共に形を解き、
内に秘めた可能性と共に、光との再会を待ちます。
光の、山と谷の、狭間の時期。
豊かさの循環の中にいる、循環しないあなたは、
いつも、「ここ」にいます。
パビットラ(中沢あつ子)