
正しいか、正しくないかの立ち位置には、
関わりと、活動があります。
関わりと活動を使い、
関わりと活動から退き、
関わりと活動を、超えて。
関わりの狭間、活動の狭間を
すり抜けた先の、
ただ在る事の休息が、我が家です。
パビットラ(中沢あつ子)
正しいか、正しくないかの立ち位置には、
関わりと、活動があります。
関わりと活動を使い、
関わりと活動から退き、
関わりと活動を、超えて。
関わりの狭間、活動の狭間を
すり抜けた先の、
ただ在る事の休息が、我が家です。
パビットラ(中沢あつ子)
朝と夜。
上昇と下降。
右と左。
この世界の、ふたつの極の行き来。
その行き来のたびに、通る中心。
吸う息と吐く息との間にある、動かぬギャップのように。
行き来する動きを生きながら、
動かぬ中心を見守るなら。
動きは背後へと落ち着き、
中心は、主へと拡大します。
パビットラ(中沢あつ子)
宇宙にも、地上にも、個人の内にもある、
創造と破壊。
創造と破壊の力の綱引きがあるから、
私達に、救いや祈りが生じます。
智慧や、発見が生まれます。
創造と破壊の力の綱引きは、
宇宙的であれ、集合的であれ、個人的であれ、
2つでなくなろうとする、戯れです。
戯れの、向こう側・・・。
更なる向こう側も、向ける対象もなくなった向こう側には、
何がありますか。
パビットラ(中沢あつ子)
天と地の間に、立って。
頭頂は、宇宙と向き合い、
足の裏は、地球に触れて。
天と地の真ん中には、ハートの息。
皮膚と世界との、境界を超えて、
渡し、受け取る息は、誰のもの?
どこまでも、広がっていく・・・
「それ」こそが、誰でもない、全ての私。
パビットラ(中沢あつ子)
年と年の敷居をまたぎ、新しくなっていくように、
こころの制限の敷居を、軽やかに飛び超えましょう。
今、受け取ろう、と思うのも、
いつか受け取れる、と思うのも、
こうなってからなら受け取れる、と思うのも、
今もこの先も受け取れない、と思うのも、
どんな風に思うのも、こころは自由。
空を、自由に泳いで。
こころは、どんな思いの雲を掴み、手放すでしょうか。
来たことも、去ったこともない、大いなる空の内で。
パビットラ(中沢あつ子)
光と闇の両極の間に、
地上の虹色すべては、現れます
光と闇の両極が溶けたなら、
すべての色は、落とされます
色が落ちた、からっぽさの中にも、
すべての色は、存在していい
それぞれの色を生きる事への、
絶対的な祝福
あなたの内にも、あなたの外にも、
全ての、内と外にも
パビットラ(中沢あつ子)
それが、
季節であれ。
お天気であれ。
身体であれ。
思いであれ。
この世界のあらゆる現象は、
対極の行き来の狭間で生じています。
究極の拡大は、究極の縮小へと。
終わりは、始まりへと。
あらゆる次元での生と死は、
世界の内で、循環し続けます。
例えば、
最も闇に近い時は、これから光に近付いていく、という事。
そんな世界の動きの「全て」は、
本当は、あなたという存在の、
何もない中心から、生じています。
―新たな年の、新たな一巡の始まりへと。
あなたが創造する世界とは、どのようなものでしょうか。
パビットラ(中沢あつ子)
時のエンジェルが、「いままで」を終らせ、
「これから」と出会わせてくれるのを、最も意識する、この時期。
「いままで」と、「これから」の、狭間の「いま」。
「いま」を「いままで」へと手放して、「いま」に「これから」を招き入れて。
感謝して。
中心へと手繰り寄せられる、全ての「いま」を見守ったなら、
ただ、ありのままだけが、輝いています。
パビットラ(中沢あつ子)
動き、変化していくこの世界の中で、
私達は、自然界を節目にして、始まりや終わりを見立てました。
例えば、
1年の始まりと、1年の終わり。
1日の始まりと、1日の終わり。
物質世界では、始まりと終わりがあり、
究極の世界では、始まりも終わりもない、
そんな風に、私達は考えます。
でも、この物質世界にも、
始まりと終わりといったものは、本当はありません。
始まりと終わりは、
多くの人達によって信じられているものも、
“私”の内的世界で感じているものも、
私達自身によって、作られたもの。
時という概念もまた、私達によって作られたもの。
この世界の、
一体どこが始まりで、
どこが終わりなのでしょうか。
光の力が弱い時ほど、
私達は、変化を超えた永遠を思い出し、
近付きたくなるのです。
パビットラ(中沢あつ子)
―2011年から2012年へと、
古い年が去り、新しい年がやって来ます。
2011年の時と共に、生じ、変化し、去っていったもの。
2012年の時と共に、生じ、変化し、去っていくであろうもの。
二度と同じに繰り返される事のない、体験や現象の姿をとりながら、
時と世界は、
私の内で、起こり続けます。
今迄も、これからも、
生死の敷居を超える事を、重ねてさえ。
一度も、私が起こった事のないところ。
生まれた事も、死んだ事もないところ。
「それ」は、いつも包んでくれています。
私がいる時も、いない時も。
いつの時でも、どんな世界でも。
パビットラ(中沢あつ子)